週刊シネマイモ

その日の映画、その日のうちに。

「沈黙 -サイレンス-」を観ました。人間は、みんな何かを信じたい。

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江戸幕府によるキリシタン弾圧が激しさを増していた17世紀。長崎で宣教師のフェレイラ(リーアム・ニーソン)が捕まって棄教したとの知らせを受 けた彼の弟子ロドリゴアンドリュー・ガーフィールド)とガルペ(アダム・ドライヴァー)は、キチジロー(窪塚洋介)の協力で日本に潜入する。そ の後彼らは、隠れキリシタンと呼ばれる人々と出会い……。(シネマトゥデイより)

 

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みんな、沈黙している。神に祈り、沈黙する。どれだけ拷問を受けようが、声を荒げることはない。耐えて、神を信じ、祈り続ける。風や鳥のさえずりが聞こえ、そのボリュームがどんどん大きくなり、突如包み込む静寂。「ゼロ・グラビティ」を彷彿させるようなオープニングで、一気に心を掴まれます。

 

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物語の舞台は、江戸時代初期、幕府による激しいキリシタン弾圧下にあった日本・長崎。歴史の授業で踏絵や天草四郎などのワードは聞いたことがありましたが、弾圧のやり方がここまで厳しく、ネチネチしたいやらしいやり方だったとは思いもしませんでした。踏絵などは優しい方で、聖母にツバを吐き掛けさせたり、暴言を吐かせたり、見ていて気分が悪くなりました。しかし、鎖国中の当時の日本人にとってはキリスト教自体が気持ち悪く見えたのだろうし、何としても排除したかったのだろうなぁと、何となく複雑な想いになりました。

 

棄教することを劇中では、「転ぶ」と表現しています。転ばない者に対しては、徹底的に転ぶまで拷問します。そのやり方は、本当にいやらしく、狡猾です。極寒の海に立てた十字架に張り付けにしたり、 熱い湯を少量ずつかけてひどくやけどをさせたり、穴を掘りそこに逆さに宙づりにして血がのぼってすぐに死なないよう頭に切り傷を付けておいた り…。とにかくじわじわ静かに拷問していく。これが本当にいやらしい。そして、そのやり方はどこか日本らしい。スコッセッシの撮り方の影響ももちろんありますが、その描写に美しさすら感じてしまいました(もちろん不快極まりないんですが)。

 

転ぶか、死ぬか。その2択を迫られたキリシタンは、ロドリゴたちの前でどんどん死んでいきます。その中でも塚本晋也監督の演技は、圧巻でした。波が押し寄せる極寒の海で、十字架にはりつけにされ死んでいく姿は、今でも頭から離れません。そして、ロドリゴキリシタンをひどい目に合わせる井上筑後守を演じたイッセー尾形も、 素晴らしい演技でした。鎖国時代の日本の閉鎖的な空気感を、ネチネチした喋り方と飄々とした演技で見事に表現されていて、1人だけ存在感が異常でした。

 

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また、17世紀の話ですが時代劇っぽい古臭さは全くなく、現代劇を見ているような感覚も少しありました。

 

正直映画の根っこの部分である「信仰」については、知識もないためコメントは難しいです。ただ「人間は、みんな何かを信じたい」ということが、この映画を観ているとすごく伝わってきます。この映画を観終わった後に頭に浮かぶのは、キリスト教でも、宣教師でもなく、自分が信じているもの。信じたいもの。それを見知らぬ誰かに、「信じるな」と弾圧され、それを足で踏み、ツバを吐き、信じることをやめろ、と命令される。そんな腹立たしいことが、この日本で起こっていたんです。当時の人は、「死」をもってしてまで自分が信じているということを証明した。文字通り、「沈黙」することで証明した。自分は信じるもののために死ねるだろうか。そんなことをモヤモヤ考えさせられました。

 

全くダレることのない、緊張感が張り詰める162分。劇場でのご鑑賞をオススメします。

 

 

 

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監督
マーティン・スコセッシ

キャスト
アンドリュー・ガーフィールド
アダム・ドライバー
浅野忠信
リーアム・ニーソン


★4.0点